Waters of Life

Biblical Studies in Multiple Languages

Search in "Japanese":
Home -- Japanese -- Tracts -- Tract 03 (Bless the Lord, O My Soul!)
This page in: -- Armenian -- Baoule -- Burmese -- Chinese -- Dagbani? -- Dioula -- English -- French -- German? -- Greek -- Hausa -- Hebrew -- Hindi -- Igbo -- Indonesian -- JAPANESE -- Korean -- Lingala -- Maranao -- Nepali? -- Peul? -- Somali -- Spanish -- Sundanese -- Telugu -- Thai -- Turkish -- Twi -- Uzbek -- Yoruba

Previous Tract -- Next Tract

トラクト - 配布ための短い聖書のメッセージ

トラクト 03 -- わがたましいよ 主をほめたたえよ


存在を確かなものにする為に、一生懸命に働く人がいます。彼らは、生活の為にお金を十分に稼ごうとします。そして、安心できるだけの財産を築く為に、彼らの全ての時間と努力を犠牲にします。しかし、マリヤの子は次のように私達に教えています。 “だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。”(マタイの福音書 6:24)

ダビデは主を礼拝する事により、この問題を解決しようとしました。彼は、彼自身とその内にある全ての思考を無に保つようにしました。そうする事によって、彼は主のみに集中する事ができました。彼は、他の思考が彼を邪魔する事を許しませんでした。しかし神のご臨在の前に立ち、次のように言いました。“わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ…”(詩編 103:1-4)

祈りと賛美には、決意と忍耐が必要です。ダビデは、主を褒め称え、主の栄光を称えたかったのです。聖霊は聖徒を、創造主の声に対して耳を開くように導きます。

という名前は旧約聖書にて6,828回出てきます。一方でという言葉はたった2,600回しか出てきません。神の名は“主”です。この名前は、主の変わらぬ誠実さを確かにします。ダビデが見せたように、主のみが全ての信頼と感謝に値します。''

しかしその声と思考は、彼の潜在意識からの強い力により、中断する事となりました。そして、静寂に従う事を拒んでいました。これは、ダビデが彼の内なる存在に、主を賛美するようにもう一度命令した理由です。彼は、彼の思考は感謝と賛美で満たされるべきだと決意しました。ダビデは彼の魂の全てで主を愛したかったのです。そして、彼の全人格で主を褒め称えたかったのです。彼は主を、偽り、ずる賢さ、不正、または罪のない聖なる方と呼んでいました。神に近づく者は、神の聖さの光により観察され見抜かれる事になります。そしてそれは、神の御前において全ての汚れた働きを明らかにします。ダビデはこの霊的な発見を経験し、聖なる方の御前において彼自身を謙遜にし、そしてその方の栄光を称えました。神の聖さはその栄光を覆います。なぜならば、聖なる方は最も高められるからです。神に立ち返る者は誰でも、その御心の深さによって聖別されるでしょう。

ダビデは、静寂を保ち神を賛美し続ける為に、彼の魂を3回制しなければなりませんでした。それによって、彼の思考は混乱せず、また金銭的な事、日常的問題、そして潜んでいる危険に気移りしませんでした。彼は、主の中の主にのみ、そして、世の全能の裁きにのみ注意を向けようと決意しました。

後に聖霊は、ダビデの人生において、主がして下さった全ての良い事を、主に感謝するように彼を導きました。私達は生来、主の祝福と、主が私達の祈りに答えて下さった事を、すぐに忘れます。私達は皆、主がして下さった良い事を忘れるという事において、世界チャンピオンです。

私達は、神の様々な恩恵を忘れないようにする為に、紙を手に取って主があなたに提供して下さった全ての恩恵を書き出す事を、全ての読者に勧めますそしてそれらの事に対して本当に神に感謝するのです。新鮮な空気と水に対して、雨、雪、食べ物と着る物に対して、両親、先生、学校、職場、そして住居に対して、安全と国の平和に対して、神を賛美して下さい。あなたを、嵐や地震や火山噴火の自然災害から守って下さっている事に対して、神に感謝して下さい。あなたの国を、飢饉や戦争の苦しみから守って下さっている事に対して、神に感謝して下さい。主があなたにして下さったもっと多くの良い事について、あなたの心の中を探してみて下さい。主への感謝の出し惜しみをしないで下さい。絶え間ない賛美をする事、そして具体的な理由のある事に対して感謝する事に対して、あなたの心を訓練して下さい。そうする事によって、あなたの心は幸せでいられるし、主の歓びがあなたに留まります。

ダビデには神聖なる聖霊により霊感が与えられました。その中で感謝をする事の最も重要な理由は、彼の全ての罪に対する赦しでした。多くの人達は、まるで心の清い人のように生きています。彼らはその悪意を隠し、しかめっ面をして歩いています。彼らの例に従わないで下さい、そうではなくて悔い改めて下さい。あなたの全ての罪を主に告白して下さい。そしてこれからはこれらの罪を犯さないと決めて下さい。そうする事によって、あなたは使徒ヨハネが明らかにしたような慰めを経験するかもしれません。“もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。”(ヨハネの手紙第Ⅰ 1:8-9)

ダビデは、彼の全ての罪を赦して下さった主の恵みを経験しました。従って、神がよく与えて下さった赦しに対して、主に感謝する為に、彼はその魂を制していました。預言者は、聖なる方が罪を問わず、そして実際に彼の全ての罪を赦した事を経験しました。私達は、他の宗教においてそのような包括的な恵みを探しません。私達は、たぶん、またはもしかすると、といった言葉をトーラー(モーセ五書)や福音の中で見つける事はできません。なぜならば、主は、私達の罪の他の部分を赦す事をせず、一部分のみを赦すのではないからです。そうではなくて、私達に対するその偉大な愛から、私達を完全に清め、私達を徹底的に無罪として赦し、そして私達に惜しみなく彼の恵みをくれるのです。キリストは、その身代わりとして死んで下さった事により、世の罪を贖って下さったので、私達は次の事を確かに知っています。“キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。”(へブル人への手紙 10:14)

しかし、罪に対して赦しを受けた者は誰でも、神が彼らを赦したように、彼らの敵も赦さなければならないと、主は宣言されました(マタイの福音書 6:12)。あなたには敵がいますか?あなたは、意見が合わない人と一緒に住んでいますか?その人を今完全に赦して下さい。さもなければ、あなたは主の恵み溢れるあなたの罪の赦しを失うでしょう。主の御力により、敵があなたに行った悪い行いについて、あなたが実際に敵を赦す事ができるように、主に助けを求めて下さい。ちょうど、創造主が既にあなたを赦して下さったようにです(マタイの福音書 6:14)

聖霊は預言者ダビデを、結局彼の罪は赦されたが、健康は次に重要な主から彼への賜物であった、と認識するように導きました。彼は、この事について主に感謝すべきだと認識しました。どの位の頻度で、私達は風邪にかかったり、小さなけがをしたり、または慢性病にかかったりするのでしょうか。それにもかかわらず、主はその慈愛により私達を治して下さいました。医師は、高価な薬だけでは私達を治すのに効かない、と分析します。それに対する功績は全能なる方に帰されます。主は私達に次のように確信させて下さいます。“わたしは主、あなたをいやす者である。”(出エジプト記 15:26)

マリヤの子はこの約束を成就させました。彼は彼の元へ来た全ての病人を癒し、そして悪魔に憑りつかれた者から汚れた霊を追い出しました。今日において、主が癒しを行われる時には、医者や薬を用いられます。しかし完全なる癒しは主からのみ来るのです。その時、あなたの主への感謝はどこにあるのでしょう?あなたの創造主に対して、心を尽くして感謝する事を忘れないで下さい。なぜならば、創造主こそがあなたに健康や癒しの有難さを与えるお方だからです。

ダビデ王は神を畏れる人でした。彼は、主にまみえる日が来ると知っていました。だから彼は死の準備をしていました。しかし、主は墓から彼の罪を贖うと明らかにされました。それは、彼の義からではなくて、彼が主は罪を赦して下さるお方だと信じていたからです。キリストを信頼する者は誰でも、死、または墓に入るという罰を恐れる必要はない、とマリヤの子は私達に次のように確認しています。“わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。”(ヨハネの福音書 11:25-26)

マリヤの子は、死に打ち勝った後、墓から生き返りました。彼はサタンに勝利し、そして彼の永遠のいのちの現実を証明しました。彼は、彼に従う全ての人達を助けます。そして彼らの手を取り、一緒に死の門を通り過ぎ、彼の永遠のいのちへと入っていくのです。

主の霊は、ダイヤモンドがついた金の冠は世界で最も大切なものではないと、ダビデ王に知らせました。永遠に輝く主の冠があります。主の慈愛を受け、そしてそれを豊富に貧しい者や病人に与える者、漂流者達、軽蔑された者達、そしてよそ者達の必要を満たす者、そして実際に彼らを助ける者は、主から霊的な冠を与えられる事になるでしょう。あなたは慈愛と慈悲心の冠を、その慈愛溢れるしもべに贈って下さるあなたの主から受け取りましたか?あなたの心はまだ石のように固いのですか?または、それが溶けたから、あなたは苦しむ者と苦しみ、泣く者と泣くのですか?キリストは、あなたの隣人達や友人達に対してだけではなく、道を外している者、そしてこの人生とその次の世界へ何の希望も見いだせていない未信者に対しても、あなたが継続的な慈愛を持てるように導きます。彼らの方を向き、彼らの青ざめた顔を見る時に、ショックを受けないようにして下さい。そうではなくて、彼らの為に祈り彼らを思いやる事により、主があなたを彼らの元へ送り、あなたは彼らに誠実に真心を込めて仕える事ができます。

頭に見えない冠をかぶった、まだ知られていない純真な聖人がいます。彼らは、悲惨な状態にある者達に、そして貧しい者達に対して慈愛を持っており、彼らの為に祈り、彼らを助け、彼らの為に犠牲になりました。それらを、彼らの主が彼らにやったのと同じ方法で行いました。主は次のように告白しました。“人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。”(マタイの福音書 20:28)キリストは私達の道であり模範です。彼に歓びを持って仕える為に、私達に力と勇気を与えてくれます。

親愛なる皆様、
あなたは、あなたの心を冷たくするお金や高い地位を求めますか?または、キリストの霊があなたの心を変えたので、あなたは頭の上に目に見えない冠をかぶり、慈愛と慈悲心に溢れるようになりましたか?詩編103篇を暗記して下さい。感謝の気持ちを持つようあなた自身を訓練して下さい。そうする事によって、あなたはキリストにあって、あなたを神の慈愛へと移り変わらせる人間の姿をした神の愛を認識できます。あなた自身を感謝と賛美で飾って下さい!

私達は、キリストの福音を黙想と祈りの教材と一緒に、要求に応じて惜しみなくあなたに送る準備ができています。それらはあなたが心を尽くして賛美し感謝する事を助けます。

他の方達が賛美し主に仕える事を励まして下さい:もしあなたがこの小冊子が役に立つと思われたら、これをご自身にのみに留めておかないで下さい。そうする事を通じて、他の方々も主のしもべ達となる事ができるのです。私達に手紙を送って下されば、私達はあなたがお配りする為に、これらの小冊子をお送りします。

あなたからのお便りをお待ちしております。私達はあなたの為に祈ります。そしてあなたの祈りの中において、私達を覚えてお祈り下さい。あなたのご住所をはっきりとお書きになる事をお忘れにならないで下さい。

WATERS OF LIFE
P.O. BOX 60 05 13
70305 STUTTGART
GERMANY

Internet: www.waters-of-life.net
Internet: www.waters-of-life.org
e-mail: info@waters-of-life.net

www.Waters-of-Life.net

Page last modified on August 11, 2015, at 07:21 AM | powered by PmWiki (pmwiki-2.3.3)