Waters of Life

Biblical Studies in Multiple Languages

Search in "Japanese":
Home -- Japanese -- Tracts -- Tract 02 (God, be Merciful to Me a Sinner!)
This page in: -- Armenian -- Burmese -- Chinese -- Dagbani? -- English -- German? -- Hausa -- Hebrew -- Hindi -- Igbo -- Indonesian -- JAPANESE -- Korean -- Nepali? -- Peul? -- Somali -- Telugu -- Thai -- Turkish? -- Twi -- Uzbek -- Yoruba

Previous Tract -- Next Tract

トラクト - 配布ための短い聖書のメッセージ

トラクト 02 -- 神様、私のような罪人にご慈悲をお与え下さい


盲目の師は、家庭を何軒か訪問している時に、点字聖書を使って指で単語を識別しながら、福音から選び抜いたみことばを彼らに読んでいました。師の話を聞く者達は、その読み方に驚きました。文字を探しながら動く指を彼らは目で追いながら、師の完璧なみことばの朗読を聞いていました。この盲目の師は、彼らの国の主要な宮から衝撃的な場面を選び、そして読みました。

ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』”(ルカの福音書 18:10-13)

師は読むのを止め、彼の周りにいる人達に話かけました。「皆さん、“自分はどちらだろうか?”と自分自身に問うてみて下さい。皆さんはどちらに分類されるのでしょうか?パリサイ人なのでしょうか、または悔い改めている取税人なのでしょうか?パリサイ人は、私達の国の良い例となっているのではありませんか?彼らは姦淫をせず、盗みもせず、誰に対しても不正を行わず、むしろ、厳格に律法に従い、週に2回断食をし、施しをし、そして貧しい者を助けていませんでしたか?」

老人の次の回答により、部屋の中は深い沈黙が漂いました。「神はほむべきかな。その男は、正直な祈りと貧しい者達を助ける事によって、自分が願ういかなる時においても主に近づく事ができます。しかしこのパリサイ人は、神の素晴らしいみわざのゆえに神をほめたたえるよりも、彼自身をあがめて彼自身の努力に対して栄光を与えてしまいました。神を認識しないそのような敬虔さは自己中心的です。」

盲目の師は老人の助言を確認し、そして付け加えました。「パリサイ人の高ぶりは彼らの心と知性を頑なにします。彼らは神聖なるみことばを暗記しているにも関わらず、神の真実を認識していないし、彼ら自身の状態についても認めていません。神への畏れのない宗教的敬虔さは、間違っており愛がないように見えます。自分自身に栄光を与えながら祈る者は、傲慢かつ反抗的になります。彼らは自分に問うべきです、“私達の祈りは神に向けられているのだろうか、または自分達に向けられているのだろうか?私達は主の事を考え褒め称えているのだろうか、または私達は私達の部族に栄光を与えているのだろうか?”と。」

聴衆の中の若者が盲目の師に尋ねました。「なぜ私達は祈るのでしょうか?祈る事によって何か得るものがあるのでしょうか?誰が私達の祈りの言葉を聞いているのですか?」盲目の師は優しく答えた。「視力を与えられた者が、地平線の向こうを見る事ができますか?彼は、地平線の向こうに何があるのかを見る事なしに、地球は丸いと信じています。私達が、カイロからパリに、またはカサブランカから東京に電話をかける時に、同様な事が生じます。私達は相手の姿を見る事ができないですが、電話をかけている相手の声を聞いていると信じています。全能なるお方が人の祈りを聞いており、だからこそ、そのお方はその人の要求、そして謙遜で愛に満ち溢れた心から湧き上がる感謝の気持ちに答えられるという事に対して、聖徒は一体どれだけより多くの信頼を必要とすることになるのでしょうか!」

盲目の師は黙想を続けました。彼は取税人の祈りへと移り言いました。「神はほむべきかな。彼の良心の声、そして、もっとも慈愛に溢れるお方へのつぶやくような彼の祈りに従い、取税人が不道徳的行為をやめ、そして主に立ち返るよう導かれました。彼の祈りは、彼がまだ、神の存在、権威、そして力を信じていた事を示しています。なぜならば、神がその力、ことば、そして御霊において一つである事を知って、彼はそのお方を“神”と呼んだからです。悔い改めている取税人はもっとも慈愛に溢れるお方の聖さを感じました。そのお方の慈愛を信頼する一方、他方では彼の罪に対するそのお方の裁きを畏れていました。彼は、神の優しさと正義との間で揺れ動いていました。彼は、主が正義を理由に彼を非難し、そして彼を地獄へ落とすのではないかと恐れていました。しかし同時に彼は、信仰により、聖いお方の慈愛にしがみついていました。彼は、神の優しさは裁きよりも偉大であり、そして全能なるお方はその愛により彼の罪を贖って下さると、信じていました。だから、赦しを求めて、慈愛溢れる裁きのなされる両手に彼は飛び込みました。これが、彼が次のように叫んだ理由です。“神様、私のような罪人にご慈悲をお与え下さい!”

盲目の師は悔い改めの意味についてもっと掘り下げていき、付け加えました。「取税人は、罪を犯しただけではなく、汚れ、堕落し、そして完全に神に拒絶されるようになったとも、告白しました。聖いお方の御前においては、彼の本当の状態が現れます。主の御目には、彼には何ら良い所はありませんでしたので、彼は卑しい罪人となりました。」

師は続けました。「ほとんどの人は自分自身の状態について思い込みがあります。そして、自分自身が尊敬に値し正しいと思い込みます。しかし神の観点に立つ者は、神を除いて義なる者はないとすぐにわかります。祝福されるべきは悔い改めをしている取税人でした。なぜならば彼は賢明になったからです。創造主の御前にて、彼は自分の状態を認識し、そのお方に立ち返り、そのお方の慈愛を乞い、彼の堕落を告白し、そして神の慈愛と慈悲心を頂きました。主は、汚れのない良心を強く望み、悔い改め、心を変えようと切望し、そして行動を変えようとする者の誰をも、拒絶する事はありません。主は罪の贖いを提供し、そして悔い改めた者全てに用意された、罪の赦しを伴う神聖なる贖いを与えます。」

優しい盲目の師は話を続け、そして聴衆に尋ねました。「皆さんは、疑義のあるパリサイ人と悔い改めている取税人に関する、マリヤの子であるキリストによって出された最後の決断を知りたいですか?」彼は福音を開き、浮き上がった点に沿って指を動かし始め、そしてキリストの決断の箇所を読みました。

あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。”(ルカの福音書18:14)

親愛なる皆さん、
ご自身をもう一度吟味して下さい。あなたはその敬虔さに自己満足し、その良い行いに高ぶり、そしてその振舞いを喜んでいませんか?もしくは、あなたは聖なる神の御前において謙遜であり、その人生においてあなたが行った事を恥じていますか?高ぶる者、自分自身を優れていると思う者は誰でも、確実に挫折するという事を、よく心に留めておいて下さい。しかし、悔い改め、主に立ち返り、主の御前において罪を告白する者は、慈愛、そして主の罪の贖いと、溢れんばかりの慈愛から発している罪の赦しを受ける事でしょう。

悔い改めの祈り
私達と一緒に預言者ダビデの祈りを祈りましょう。ダビデはある女性と姦淫の罪を犯し、そしてその女性の夫に死の命令を下しました。その後に、ダビデは、主が彼の恥ずべき行いに対して彼を裁いた時に罪を告白しました。

“神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。”(詩編51:1-17)


主のみことばを学びましょう

もしあなたが神の聖なる恵み溢れる愛をもっと知りたいなら私達にお便りを下さい。私達はキリストの福音を黙想と祈りの教材と一緒に、惜しみなくあなたにお送りします。


救いの福音を周囲の方々と分かち合いましょう

もしこの小冊子があなたの心に響き、あなたがそれをあなたの友人と分かち合いたいなら、そしてあなたが未信者の方々にお配りするおつもりなら、必要な数のこのトラクトをあなたに喜んでお送りします。

私達はあなたからのお便りをお待ちしております。私達がお返事をきちんとする事ができるように、ご住所をはっきりとお書き下さいますよう宜しくお願い申し上げます。

WATERS OF LIFE
P.O. BOX 60 05 13
70305 STUTTGART
GERMANY

Internet: www.waters-of-life.net
Internet: www.waters-of-life.org
e-mail: info@waters-of-life.net

www.Waters-of-Life.net

Page last modified on August 11, 2015, at 07:21 AM | powered by PmWiki (pmwiki-2.2.109)